September 30, 2008

計画は壁の上で

traffic_jam.jpg

何度か登場させてきたこの写真。flickrに載っけていると、時々「使わせて欲しい」という連絡がくる。

実は2006年から、イギリスの総合建築/都市エンジニアリング・コンサルタント企業、Arup内のプロジェクトチーム"foresight"が編集した教育ツール"Drivers of Change"にも使われている(一気に書いてみたが、長い…)。

教育ツールといっても見た目はただのカードセット。未来の都市/建築/生活にまつわる問題点や疑問が一枚づつカードに分けられ、表には写真と概要が、裏には関連する図表とともに解説されている。企業の戦略立案、ブレインストーミング、研修などの使用のために開発されたとか。ちなみにこの写真は、「アーバニゼーション(都市化)/交通」の項にある。

最新版の"the rainbow set"を1セット送って貰ったが、内容はさすが頭脳集団Arupの面目躍如といったところ。デザインもカッコ良く、企業エグゼクティブの机の上の飾りとしてもグッド(おいおい)。

実物が手元に来ていたのでとっくに売られているものと思っていたが、発売は2009年春からなんだそうで。出版元は(たぶん)スペインのGGことGusutavo Gili社から。

で、カード。

アメリカのサスペンス・ドラマ、例えば24とかプリズン・ブレイクを見ていると、壁の上に写真やらスケッチ、新聞記事、表、などなどを壁一杯に貼って、それらを動かしながら計画を練るシーンがしばしば出てくる。日本でも、「仕事術」系の本では、必ずと言っていいほどカードやポストイットを使った情報整理法が紹介されている。断片的な情報を小さな紙切れに入れ、それらを組み合わせて新しいアイディアを得ようとするのは、そんなに新しい話ではなくて、例えば「知的生産の技術」で梅棹忠夫氏が紹介、1970年代の日本で大ヒットした「京大カード」や「スクラップブック」なんかもそうだろう。

そういや、生前の父親の書斎も新聞の切り抜きやカードで埋め尽くされていた…。並べているのはついぞ見なかったけれど。当時の「知的になりたいヒト」たちはこぞってカードを買い求めていたらしい。

最近のオフィスでは、色んなものが貼れるように、壁を全面コルク貼りとしたような会議室も見かけるようになっている。そんな「紙切れ並べ型」のプロジェクト・スタイルが復活して来ているのは、コンピュータの浸透が大きいんだろうな、なんて思っている。僕だって、今話題のコンピューターと今話題のインターネットを使って、世界の片隅で今話題のデザインをやっている一人だけれど、コンピューターというやつは一覧性に欠けていてどうにも具合が悪い。一度に全部ひろげて見たい時ってあるでしょう?その欲求不満が、オフィスの壁へと向かって行っているのだろう。

いま自分のオフィスには大きな壁はないけれど、ゆくゆくは、なんでも貼れて、なんでも書ける大きな壁が欲しいなと思っている。

いつのことになるやら…

知的生産の技術 (岩波新書)

投稿者 tofuku : 06:59 PM

September 24, 2008

構想2ヶ月、製作3ヶ月

真空管アンプで挫折してしまったのは今年の春頃。いや、挫折というべきでないな。転進したというべきだな…大本営発表みたいだけれど。

転進先はバミューダ沖ではなく、これ。

speaker_original2.jpg

スピーカーの設計・製作だ。スピーカーというのは、ユニット(磁石がついてて電気で震えて音を出す部分)と、エンクロージャー(箱)の2つからなる。そして、その箱の形や素材が、音質に大きな影響を及ぼす。ユニットの方は余程のマニアでなければ作れない精密機器だけれど、箱の方ならなんとかなりそうだ。

「日本スピーカー自作界」は、なかなかに奥が深い。音楽/オーディオ評論家の長岡鉄男氏、という方が最も尊敬されていて、彼は生涯に600種類のスピーカーを設計・製作したという。遺された図面や著作は今でも書店で買える。パーツは、「日本スピーカー自作界のメッカ」こと秋葉原のコイズミ無線に揃っている。日本に帰った時に一度行ったのだけど、仕立ての良いスーツをピシッと着た、会社ではそこそこ高い地位に居るであろうオジサマ達が数人居た。日曜大工がてらスピーカーを組むんだろうか。

長岡大先生の著作を参考に、設計を始めてみると、これがまた結構分かりやすいし楽しい。音を形にするというんだろうか、音の流れや反射を考えながら箱の内部空間を設計するのはなんだか建築的な作業でもあった。職業柄、空間を図面化するのは得意である。生まれて初めて建築をやっていてよかった、と思った。冗談です。

一緒に仕事をしていた内装屋の親方を「内装なんかやっててもこの先儲かんないぞ!スピーカーの箱なんかどうだ!下手すりゃ箱だけで数万元で売れたりするんだぞ!」と、まあ嘘ではないけれど一般的でもない例を引っ張りだしてだま説得し、2種類のエンクロージャーを作ってもらった。「現場がある時についでに作るから」と2ヶ月以上待たされた。

speaker_original1.jpg

上の写真はバックロード・ホーンと言うタイプ。中にホーンのような音道を組み込んである。下のものはバスレフというタイプ。作ったばかりの時は中低域がモコモコしてしまっていたが、スタイロフォームの塊を中に入れたり、中のグラスウールの位置を調整するうちに改善されてきた。いろんな人に聴いてもらったけれど、下の方が評判が良い。僕個人は上の奴を気に入っているが、確かに少々クセがある。

まあどちらも、総予算2−3万円で作ったスピーカーの音とは思えないのは確か。そこらのオーディオセットには負けない…と思うんだけど。


世界でただひとつ自分だけの手作りスピーカーをつくる


長岡鉄男のオリジナルスピーカー設計術 基礎編

投稿者 tofuku : 06:30 PM | コメント (3)

January 14, 2008

中国本

china_books.jpg

期待と不安に満ちた北京オリンピック。過去、これほど愛憎入り交じった感情と共に日本人から眺められたオリンピックも無かったのではないか。

迫り来る北京五輪をにらみ、日本では中国関連本が凄まじい勢いで出版されているが、殆どの論調は中国脅威論と中国期待論、そのいずれかだ。暗い面に目を向ければ明るい面が露光過多で吹っ飛んでしまい、明るい面に目がくらむと暗い面は見えて来ない。政治経済の面でも、文化の面でも、現代中国は文字通りコントラストが強すぎる。「中」がない。自らを「中」国と名乗り、思想的にも「中」庸を美徳とする国を語る本であるにも関わらず、だ。

脅威論も期待論も、両方とも目を通すことを心がけているけれども、脅威論の方はひたすら読者の不安をあおりまくるし、一方はこちらが心配になってくるくらい楽観的だし…どっちを読んでいてもシラケてきてしまう。

一般に「悲観論好き」と言われる日本人相手には、本来は不安を煽るタイトルの方が売れるはずだ。ただ、中国本を買う人の中には、中国と関係してビジネスをやろうとしている人も多く、こちらのターゲットも押さえておきたい…そんな出版側の都合が、両極端な状況の一因となっているのだろうと思う。

中国が世界をメチャクチャにする
"China Shakes The World"という原題がこのような邦題になる所に、出版社の戦略が見えかくれする。中国が米国やヨーロッパの中流階級の仕事を奪っていく。同時期に読んだ「フラット化する世界」では、情報網の発達で起こるインドや中国へのアウトソーシングを賞賛していたけれど、見方を変えればこうも変わるのかと感心した。

中国でつくる―松原弘典の建築
北京で活動する建築家、松原弘典氏の作品集。豊富なテキスト。特に日中関係についての冷静かつ前向きな見方は、溜飲が下がる思いで読んだ。

投稿者 tofuku : 10:32 PM | コメント (0) | トラックバック

October 27, 2007

難しい漢字#2

bianbian_kanji.jpg

ビァン!

以前紹介した、中国最難漢字と思われる「ビァンビァン麺」の「ビァン」の字。

中国人のスタッフに、難漢字に関する面白いページ(正確にはブログのエントリー)を教えてもらった。インターネット投票による難読漢字ランキングである。画像を転載するのもなんなので、どうぞリンク先をご覧ください。

1位はやたらと頭でっかちな恐ろしげな字。「悪魔払い」というような意味があるそうだ。

2位は「ビァン」がランクイン。

3位はクネクネと這いずりまわる一筆書きの字。なんでも、「一」を崩した字だという。一番簡単なはずの漢字がとっても難しくなっているんですけど…

以下21位まで、ドクドクしいながらも遊び心溢れる字が続いてゆく。

既存の字を組み合わせる事で新しい字、そしてコンセプトを生み出してゆく。漢字文化圏とはそういう「合体モノ」の文化圏なのかもしれない。中国皇帝の象徴である龍は、「角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼あるいは兎、体は大蛇、腹は蜃もしくは蛟、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛にそれぞれ似る」という。ある中国人は、これこそが多民族を呑み込み、同化させてきた中国の象徴だと言っていた。西洋人が物事を構造的に見直すことで新しいアイディアを得ようとするのとは対照的に、漢字文化圏の人たちは、既存のアイディアを組み合わせて新しいアイディアを得るのが得意なのかもしれない。そこらに居る動物達を組み合わせることで想像上の動物のイメージを生んだように。

コンセプチュアル・アートとか、ニューラル・ネットワークみたいな言葉を一つの漢字にしたらどんな風になるんだろう、なんて空想する。

80年代~90年代にかけ、中国から日本経由で世界へ出て行ったアーティストとしては蔡国強氏が有名だが、それと並ぶ美術家に徐冰[Xu Bing]という人が居る。漢字を通して、表音文字文化圏と表意文字文化圏、あるいは、西洋と東洋の断絶を浮き彫りにする、そんな作家だ。

squareword.jpg

798で買った"Square Word"という本の表紙。よく見ると"Square""Word"がそれぞれ一字に纏められている。この本はその"Square Word"で英文を書くための手引書の体裁をとっており、これに従えば、どんな英単語も漢字風に表記できる(はずだ)。もちろん中の文章も"Square Word"で書かれていて、"international"だとか"calligraphy"なんて字は大変なことになっている。一つ一つの漢字(あるいは英単語)を判読していくのが楽しい。

The Art of Xu Bing
この本の表紙は"Xu Bing"。読めますか?

投稿者 tofuku : 06:27 PM

October 16, 2007

1ま~い、2ま~い

ekisyo.jpg

以前の事。

北京から日本にもどり、職場に顔を出したら、「何、また新しいガジェットを買いに戻ってきたの?」とからかわれた。確かに、その時のカバンの中にはノートパソコン、デジカメ2台、携帯2台、電子手帳、iPodにPSPやらがギシギシと詰め込まれていた。でも、本人としては仕事に必要だから!と購入したモノばかりだ。いや、正直、ちょっと必要ないものも含まれているけれどね…仕事に全く使えないとは言いきれない!モノばかりだ。力強く言ってみても苦しいな。

ところで、夜、眠れないとき(僕は滅多にないけれど)や、電車の中で手持ちぶさたな時、皆さんは何を考えているだろうか。僕は、部屋の中やカバンの中の液晶画面の数をボーっと数えていることがある。ケータイで1ま~い、ノートパソコンで2ま~い、iPodで3ま~い…まるで四谷怪談のお岩さんのように数えていく。すると、結構あるのに驚く。たとえ、ローテク自然生活を実践している最先端ネイチャー人間だって、電卓やビデオの表示くらいは液晶やLED表示になっているだろう。

逆に、入力装置の方はどうだろう。部屋の電灯のスイッチだって立派な入力デバイスだ。携帯だって15コくらいのボタンがついている。電話、電卓、キーボード、テレビやエアコンのリモコン…挑戦した事はないが、たぶんかなりの数になるはずだ(ココで全て数えてみせないのが、このニッキの中途半端なところ)。

目覚まし時計を止めるボタンを押し、時間を確認する所から始まる、電話のボタンやパソコンのキーボードを乱打する一日。現代人はそうやって機械とコミュニケーションしながら生活している。ひょっとしたら、人間とコミュニケートしている時間より長いかもしれない。

豊かになればなるほど、家の中に表示器とボタンが増殖してゆく。文明化とは、生活の中にこれらが増えていく事なのかもしれない。為替相場の妥当性を表す「ビッグマック指数」「スターバックスラテ指数」なんてのがあるが、文明度を表す「ボタン指数」や「液晶指数」を提案したいところだ。

デザイナーが行っている努力は、そういったボタン類や表示類を整理して、洗練させている作業だ。「デザイン家電」と呼ばれるものは「えっ!スイッチどこ?」的な驚きを売りにしているものが多い。かくいう僕も、担当物件に顔を出そうとするボタンと日々格闘している…

情報の文明学 (中公文庫)

本文とは直接関係ないけれど、この本を思い出した。40年前に書かれ、今でも新鮮さを失わない予言書。読みやすい本なのでぜひ。

投稿者 tofuku : 01:54 AM

October 07, 2007

モンゴルなめんな

国慶節。ローカルたちはお休み中だが、僕だけは出勤。時折現場から質問が飛んでくる以外、オフィスは静か。仕事がはかどる。

先週末、2年ぶりに内モンゴルへ行った。最近大相撲関係で何かと話題になったモンゴル国(中華的にいえば外モンゴル)ではない。中国の内モンゴル自治区のオルドスという都市だ。

モンゴルというと、タイソウな奥地を想像する方が多いかもしれないが、実際は、区域内に入るだけなら北京からそう遠くなく、飛行機で1時間足らずで省都フフホトに着くことができる(ただし、内モンゴル自治区全体はモンゴル国を取り囲むように東西に細長く伸びているため、北京から西端までの距離は福岡までのそれとそう変わらない)。また、資源にも恵まれ、産業も発達している。羊毛をはじめとした繊維業、農業、鉱業があり、一人当たりのGDPは北京や上海などの沿岸部の都市に匹敵するという。

乾ききった大地。買物する場所は殆ど無いがカネはある。そのようなカネがどこに向かうかといえば…ご想像の通り、不動産である。実際、町のそこらじゅうで建設現場が動いている。そんなわけで、新規の開発件数もまた、北京や上海に匹敵するらしい。せいぜい人口100万やそこらの都市が、1000万級の都市と同規模…絶句するしかない。

訪れたオルドス市の中心、東勝区。日本では、「区」同士の町並みは連続しているが、行政上の都合で「区分け」されている、というのが普通の感覚だろうが、ここでは隣の「区」まで車で草原を突っ切って行く。だから、東勝区も独立した都市である。

現在、市街の隣に、それと同規模の新市街が急ピッチで建設されている。2年前にココに来た時は、荒地の真ん中に市政府だけがポツンとあるような場所で、まだ道路も満足にできていないような状況だった。

erduosi_cityhall2.JPG

オルドス市の政府。幅3~400m、長さ2kmはあろうというバカでかい広場の北端に位置する。とても地方都市の役所とは思えない堂々たる建物。

erduosi_cityhall1.JPG

写真ではつかみにくいが、中心の馬の銅像は、高さ15メートルはある。5階建の建物くらいといえば分りやすいだろうか。その周りを、チンギス・ハーンの生涯を伝えるこれまた巨大な銅像達が取り囲んでいる。広場の横には、博物館、図書館、文化ホール、ニュースセンター(どういう施設かは不明。「新聞中心」と説明された)×2が同時に工事中。さらにその周りでは、多くの商業施設、オフィス、住宅、等の工事現場が稼働中。

erduosi_cityhall3.JPG

将来像…。

ところで、「文明」とは英語では"civilization"と書く…もうちょっと正しく言えば、日本が近代化したときに"civilization"が「文明」と訳された。頭にある"civil"は「市民」を意味するので、何かの拍子に「市民化」と訳されていたとしても不思議がないような単語である。だから、西洋でいう「文明」とは定住化や都市化と密接な関係がある。学校で習った「4大文明」だって、大河のほとりに人々が定住し始めて都市が生まれた事を言っている。

頭に「文明」を思い浮かべる。山羊とイヌと人間が合体したような像が立ち並ぶ神殿、もしくは宮殿。玉座にはやたら高い冠を戴いた王様、その横にはやたら長いウチワで扇ぐ侍女がいる。神殿の麓には活気のある市場があり、そこで奴隷が取引されている。そこへ農村から売られて来た美少女。実は彼女は…話がそれそうなので止めておくけれど、それってまさしく都市そのものなんである。

一方、「文化」は"culture"で、"cultivate"「耕す」と語源を同じくする。だから、西洋でいう「文化」とは農耕民族の定住化と密接な関係がある。カルチャー人間ってのは農耕人間って事だね。ざまぁ。いかん、話がそれた。

ところがモンゴル人は遊牧民族だ。本来は、都市も持たないし、農耕もしないし、定住もしない人たちだ。だから、西洋的な概念にバカ正直に倣えば「文明」も「文化」も持たない民族、という事になってしまう。13世紀以降世界を席巻した民族なのにも関わらず、歴史上軽んじられてきた原因はここにある。

モンゴルに急速に出現しつつあるこれらの都市を批判する事はたやすい。実際、建設による環境負荷は相当なものだろうし、歴史のない町並みが突如生まれる事に反感を覚える人も多いだろう。でも、ココに居る人にだって「文明的」で「文化的」な生活を享受する権利はあるわけで、都市的な何かを作らなければならない。

都市文明も都市文化もない所に都市を作ろうとしているのだから、何をやったってツッコミ所満載になってしまう。その都市はどんな都市であるべきで、どんな建物が建っているべきなのか?…批判はできても、僕はまだ代案をイメージできない。難題だが、新しいタイプの都市を構想するチャンスでもあると思う。

投稿者 tofuku : 06:07 AM

March 26, 2007

フートンファサード

hudong_facade01.jpg

hudong_facade06.jpg


垂れ流しシリーズ2。

胡同地区。開発のアオリを受けて取り壊されまくっているとは言え、北京の2環路の内側ではまだかなりの数を見ることができる。観光コースには故宮、鼓楼周辺エリアなどがあるが、場所によって微妙に差があるようだ。これは故宮の東、北京駅近くのもの。それぞれの入口の設えが凝っている。ルネサンス風、中世風、そしてもちろん中華風…。たった10分程度歩くだけでも様々なバリエーションを見ることが出来る。それぞれの住宅の全体的な佇まいは殆ど変わらないし、材料も変わらない。でも、入口だけは頑張って自己主張している。中国人のメンタリティを見るようである。

hudong_facade02.jpg

hudong_facade03.jpg

hudong_facade04.jpg

hudong_facade05.jpg

幾つか写真に収めながら、これを集めるのも面白いかなぁ、なんて考えていた。ベッヒャーの「インダストリアル・ファサード」という写真集を思い出した。工場を正面から撮り続けたシリーズ。アマゾンに無いかな…?と探していたら、"TYPOLOGIES"という纏まった作品集があり、買ってしまった。

TYPOLOGIES

投稿者 tofuku : 07:44 PM | コメント (2)

February 28, 2007

不都合

inconvinient_truth.jpg

「あなたは、この映画を見て、中国人たちに環境の大切さについて啓蒙するべきよ!」とある人に言われ、深夜の六本木で「不都合な真実」を見てきた。我ながら、なんとも従順で結構なことだ。まあでも、僕みたいな一般人がわざわざ啓蒙するまでもなく、映画の中でアル・ゴアが北京を訪ね、大学(おそらく北京大学)でレクチャーしてるのだけれど。

竹森君と二人で行ったのだが、映画館はガラガラ…どころか二人きりだった。二人とも「こいつさえ居なけりゃ『映画独り占め』という恰好の話のネタができたのに…」と思っていたのは言うまでもない。

映画の中で、アル・ゴアが写真を指し示しながら「これは政治的な問題になってしまっています」と語っているシーンが何度かあるが、それ以前に、この映画自体が非常に政治的だ。「大統領の座を争った大物政治家による環境問題の講義録」という内容はもちろん、全国70館というドキュメンタリー映画としてはかつてない上映の規模や、公開のタイミング等から、人一倍従順な僕ですら強い「政治臭」を嗅ぎ取ってしまう。まあそもそも映画産業そのものの成り立ちからして非常に政治的なわけで…

ネットで調べてみると、「データを『都合良く』操作している」「『不都合な事実』を意図的に無視している」等の批判的な意見が多くヒットする。中でも読みごたえがあると感じたのは田中宇氏の「地球温暖化のエセ科学」「地球温暖化の国際政治学」という二編の記事だった。この映画を切り口として、16世紀以降の資本家達の動きから、「隠れ多極化主義」「英米覇権主義」の対立、先進国が主張する二酸化炭素税に対する発展途上国の反対、などについて解説している。僕のような門外漢は少し想像力が逞しすぎるのではないかと勘ぐってしまうが、面白い記事である事は間違いない。映画館に出かけられる前に御一読されてみては。

不都合な真実

環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態

投稿者 tofuku : 10:15 PM | コメント (4)

February 16, 2007

発売になりました。

僕がライナー・ノーツを執筆させて頂いた"Ultimate Brazilian Breaks & Beats"が本日(2/16)P-ヴァインより発売になりました。

UBBB.jpg
アルティメット・ブラジリアン・ブレイクス・アンド・ビーツ

以下はN氏によるリリース。

世界屈指のヴァイナル・ディガーとプロデューサーからなるUKの覆面DJチーム<Sugar Loaf Gangsters>(ウワサでは誰もが知ってるあの「超」大物DJと、スピリチュアル・サウスによるユニットだとか!?)のセレクトによるブラジリアン・ファンクのコンピレーションがドロップ!数ある類似コンピと比較しても群を抜くレア度(中古ヴァイナルの総額は一体いくらになる!?)と最高のクオリティを誇る、60年代から70年代にかけてのヴィンテージ・ブラジリアン・グルーヴを厳選してピックアップした極上のコレクション!タイトルからもわかるように、あの超有名コンピレーション『Ultimate Breaks & Beats』のブラジル版とも言えるナイス企画で、ジャズ&ファンクの名曲カバーを始め、黄金のブレイクスや憤死確実のキラー・ファンクを満載!!タイトルに偽り無い究極のブラジリアン・コンピレーション!今後シリーズ化なるか!?乞うご期待!!!


ジャケットを見ても分かるとおり、日本で主に紹介されているような「イナタい」ブラジル音楽ではありません。ドロドロかつグチャグチャなブラジリアン・ファンク中心のコンピレーション。ドス黒い「ブラ汁」がドクドクと流れ出しています。収録曲は、クラブミュージックのネタ元として有名であるにも関わらず、入手が困難だったレア・トラックばかり。レア=情報が少ないということもあって、執筆の為の情報収集には苦労しました(てか、N氏が殆どやってくれたんですが)。ライナーノーツに関しては、そんな行間から滲み出る苦悩をお楽しみ頂ければ幸いです。

ブラジリアン・レアグルーヴ番長:駒形四郎氏も大絶賛とのこと。駒形氏監修のもと、N氏や僕も執筆に参加させていただいたブラジル音楽本「ブリザ・ブラジレイラ・プリモ」の方も併せてご購入頂けると嬉しいです。

brisaprimo.jpg
o Primo da Brisa Brasileira

投稿者 tofuku : 03:53 PM

November 24, 2006

1973年のタテとヨコ

jouhou_rekishi.jpg

歴史小説や歴史書でなくても、世の大方の文章は歴史に触れている。というより、触れざるを得ない気がする。

この日記以外にも、時折、文章を頼まれて書くことがある。まあ大抵は音楽に関するものだ。問題なのは、僕に文章が依頼されるような音楽は、メイン・ストリームから数光年は離れた音楽だということだ。マイナーであるということは情報が少ないということと同義である。調べた事を並べていただけでは要求されている文字数を埋める事はできない。よって、歴史的な事柄…そのころの社会的・文化的背景を絡めながら、文章全体を膨らませてゆく作業が必要になる。縁日の綿菓子みたいだ。僕の書く文章は、綿菓子のようにシュワシュワと無くなっていく内容の薄っぺらなものかもしれないが、せめて甘くはしてやりたいと思っている。

というわけで、本棚には歴史関係の本が多くなった。それらの本はテーマ別に時系列に沿って書かれている場合が殆んどだ。

「言葉」は一次元的な情報伝達手段としばしば言われる。一般的には、一時に一つの内容しか伝えることしかできない。そんな時間軸に則って情報を伝える手段を使っている以上、こういった本が主流になるのはやむを得ないことなんだろう。

だから歴史のタテ軸を知るのは比較的容易だ。けれどもヤッカイなことに、文章を膨らますのに重要なのはヨコ軸なのだ。そしてもっとヤッカイなのは、自分が作業にかかるのは締め切りの寸前で、とてもじゃないけど色々な本を引っ張り出して眺めている時間なんてないという事だ。

前置きが長くなって恐縮だけれど、そんな時に役立つのが「情報の歴史」という本。一冊丸ごと年表、という思い切りの良い本で、技術、政治、芸術、文学、社会、といった事がカッコ良いレイアウトで並列されている。

僕が生まれた1973年を開いてみる。

・第4次中東戦争
・第1次オイルショック
・ベトナム戦争終結
・ユージン・スミス「水俣」
・シューマッハー「スモール・イズ・ビューティフル」
・ベトナム戦争終結
・鄧小平復活
・ピンク・フロイド「狂気」
・「エクソシスト」公開
・世界的な省エネ運動
・ブルース・リー「燃えよドラゴン」

なんてキーワードが並んでいる。これを見ながらユルユルと妄想するのは楽しい。前後数年を含めて見ていると、どんなコジツケも可能な気がしてくる。そもそも歴史なんてそんなものかもしれない。

例えば、

・ベトナム戦争という大きな批判の対象が終結に向かった事で、現代的浪費社会へと批判の矛先が向けられつつある年。元従軍カメラマンのユージン・スミスは、戦場から公害病の被害者へと被写体を変えた。「スモール・イズ・ビューティフル」は、物質主義の台頭に警鐘を鳴らし、オイルショックを予言し的中させる。そして省エネ・ブーム。

・西洋的オカルティズムへ。ヒッピー・ムーブメントの中ではインド哲学や禅など、東洋の神秘が有難がれたが、西洋世界では西洋自身の神秘、すなわちオカルティズムに目が向けられつつあったようだ。コリン・ウィルソン「オカルト」の発表は71年。この年には、オカルト映画の重要作品「エクソシスト」が公開して大ヒット。サントラになったのは僅か19歳のマイク・オールドフィールドによる「チューブラー・ベルズ」である。20もの楽器を一人で操り、多重録音して完成させたが、長期間スタジオに籠り過ぎて自閉症になったというイワク付の作品。関連して「狂気」はピンク・フロイドの記念碑的コンセプトアルバムで、この頃からコンセプト・アルバムが隆盛。ちなみに五島勉「ノストラダムスの大予言」もこの年。

・戦後体制が新体制へと転換していく年。ニクソンは前年に巻き起こったウォーターゲート事件でコテンパンにやられ、苦し紛れに訪中するも、翌年には辞任。一方、訪問された毛沢東は文化大革命で建国の英雄達を追放しすぎ、鄧小平を再び表舞台に引っ張り出さざるを得なくなる。毛沢東の死去と文革の終結まであとちょっと。その後、鄧小平が自由経済を導入し、中国が快進撃していくのはご存知の通り。近代中国が国際社会に存在感を示し始めるこの年に香港的ハリウッド映画「燃えよドラゴン」が公開されているのは面白い。

…ちょっと強引だが、もう少し練れば、読む人に「ああ、1973年ってそんなに重要な年だったのね!」と思わせる事ができそうだ。

今日は長くなりすぎました…

情報の歴史―象形文字から人工知能まで
監修陣も一流。絶版にしておくのは本当にもったいない。プレミア付ですが買えます。

1973年のピンボール
未読ですが一応。

チューブラー・ベルズ

投稿者 tofuku : 11:45 PM | コメント (2)

November 12, 2006

また来た

bei-hudong06_04.jpg

再び北京へ。最高気温10度、最低気温0度前後の毎日だそうだ。かなり寒い。

中国では、政府の指導で11月中旬までセントラルヒーティングを稼動できない。外国人にとって、暖房が入るまでのこの時期が一番つらい時期と言える。2年前の今頃には、余りの寒さに近くの料理店に逃げ込んだ。店内にももちろん暖房はなく、隙間風がピュウピュウと吹き込んでくる。辛い麻婆豆腐を頼んでカラダを暖めていた。あの冬に比べれば今年は過ごしやすい。それとも慣れてしまったのかな。

このニッキで何度も触れている798芸術区。この2年の間にもどんどん発展し、今ではリッチなアーティストと画廊がひしめき、巨大資本でもない限りは新規参入は難しくなってしまったようだ。新規の画廊は、その北にある「草場地」、東の「環鉄」、僕が働いている美術学院を隔てた西の「酒廠」、といったエリアに分散しつつある。

その「環鉄」の中のCurrents - Art and Musicという新しいギャラリーの展覧会のオープニングに行って来た。その名の通り、アートと音楽とのハイブリッドをコンセプトにした画廊である。張培力[Zhang Peili]というヴィデオ・インスタレーション作家の展覧会だった。中国におけるヴィデオ・アートのパイオニアである。

文革時代のプロパガンダ映画をデジタル処理し、空間に配置した作品。大きな容積を上手く使い切っているが、先週、森美術館でビル・ヴィオラ展を見たばかりの目には、プレゼンテーションがどうしても雑に映ってしまう。

中国の現代アートに溢れかえる文化大革命のイコン。本来は中国近代史の恥部であるはずなのに、中国の現代アートにおいてはまるで大いなる遺産であるかのようである。西洋人はもちろん、中国人まで熱心に見入っている。それだけ彼等にとって、インパクトのある出来事なのだろうが、僕はもう、少々見飽きてきてしまった。

来週には暖房が入る。

プラネット・マオ―文化大革命のグラフィック・パワー
著者の王明賢は、文革グラフィックの専門家であると同時に、現代アート・建築の評論家でもある。この本はグラフィックだけで構成。

投稿者 tofuku : 11:18 PM | コメント (2) | トラックバック

October 04, 2006

日本悲観論

invisible_man_1.jpg

日本人は悲観論が好き、と何処かで読んだことがある。

だいたい、国土が沈没したり、首都が消失する映画を観て喜んでいる国民なんて、日本くらいじゃなかろうか。定期的に雑誌を賑わす富士山大噴火とか、大地震の話題もそうじゃないかな。もちろん、大災害に備えておくのは良い事だけれども、ちょっと悲観的に過ぎやしないか。

子供の頃、姉の部屋に忍び込み、本棚に入っていた当時のベストセラー、「ノストラダムスの大予言」を読んでいた。1999年に地球が滅亡するという話だ。1999年と言えば自分は26歳。ケッコンして、子供も居て、自宅の芝生の上で「高い高い」をしている、そんな幸せな生活に突如襲い掛かる大災害を想像して、暗澹たる気持ちになったものだ。その後、もちろん大災害は起こらず生きながらえているわけだが、30代も半ばに差し掛かっても、結婚もせず、当然子供もおらず、マイホームも有るわけが無く、よって当然、芝生の上で「高い高い」もしていない。今度は、子供時代から殆んど変わっていない自分に対して不安になってくる。

変わった所と言えば、読んでいる雑誌がコロコロコミックからサイゾーに変わったくらいだ。集めているものがキン肉マン消しゴムからレコードに変わったくらいだ。宇宙飛行士になりたかったのが「ちょい悪オヤジ」になりたくなったくらいである。最後に関してはむしろ退化している。こんなんでいいのか。

書きながらどんどん暗澹たる気分になってきた。どうしても悲観したいらしい。つくづく、自分は日本人なんだなぁ、と思う。

そんな僕だが、日本と中国の未来については、中国脅威論が渦巻く日本メディアとは多少異なって、かなり楽観的な意見――というよりある種の開き直りを――を持っている。まあ、トラブルだらけの中国で仕事をしている以上、悲観的にやってたら身が持たないという事情もあるが。

ちょっと前までは、「中国と日本では労働者の質が違う、中国では簡単な生産をさせ、日本では難易度の高い生産をすればいい。日本は高付加価値の生産国として生きていくのだ」というような話があった。ほほう、なるほどなぁと読んでいた気がするが、最近は、それについても悲観的な意見が出てきつつある。というのも、この数年で技術移転が急速に進んだため、中国の生産施設はハード/ソフトともに最先端レベルに達してしまったからだ。

おっと、話がまた悲観的な方向に行っちゃった。自分がどう楽観的なのか、どう開き直っているかは、次回に。


この前の移動中に読んだ本。今回はビジネスマンっぽいセレクトをしてみた。いずれも数時間で読める。

中国ニセモノ商品

中国のニセモノ商品についてまとめられたおそらく始めての本。各社の取り組みが紹介されている。新書なので、もちろんボリュームとしては物足りない。おそらく、本気で書いたら辞書のような厚さになるだろうが、そんな大仕事をやっている間に中国のニセモノは消えうせてしまう。ジェトロ北京にニセモノ展示館があるのを知った。行ってみたい。

起業するなら中国へ行こう! 北京発・最新ビジネス事情

中国での起業のノウハウ本のようだが、大半は日中の文化の違いについて書かれている。中国ビジネスについては色々な本が出ているけれど、一番実情に近いと思うし、共感できる部分も多い。平易な文章だが、よく考えられている。そして、とっても前向き。さすが松下幸之助の落し胤、PHP新書である。

投稿者 tofuku : 02:52 PM | コメント (3)

September 21, 2006

レクチャー

qinhua.jpg

意匠系の教師陣および学生を相手にした名古屋大でのレクチャーでは、様々な意見を聞くことができた。特に助教授の西沢泰彦先生は、中国近代建築史―特に満州国―の専門家で、興味深い話を伺えた。精華大の留学経験もある先生の前で北京の都市・建築について語るのは、正直気恥ずかしいものがあったが、やってみるものである。先生方も、現在の北京の建設ラッシュに驚かれ、おおいに触発された様子で、安心した。以下主な話のメモ。

・北京の主な環状線、3環路~5環路は、占領時に日本が立案した計画が戦後実行されたものである。また、占領日本は、同時期、北京中心を東西に走る長安街を西に延伸し、新都心を作る計画も立てていた。パリのラ・デファンス的な先進的な考え方であったが、結局実行される事は無かった。権力を中心…即ち故宮と中南海に集中する構図に拘ったのは、中国的なメンタリティが発揮された結果ではないか。

・清朝の北京の城壁は、取り壊され、現在2環路となっている。新中国発足時に、この封建制の忌まわしき城壁を取り壊すべきか、それとも、歴史遺産として残すべきか、大きな論争となった。残す案として、城壁の上を緑道として、市民に開放するという案もあった(中国人立案者の名前は失念)。非常に現代的な発想。

・氏は、満州に渡った日本人建築家の研究をされている。現在、チャンスを求めて中国に渡っていく日本人建築家達と比較してどうか?との問いに対し、やはり、同じ様な思いはあるだろうとの事だった。重要なのは、当時の東アジアでは、西洋人建築家による「本物」の洋風建築は上海にしかなく、日本人建築家達はそこで初めて「本物」を目にし、触発されたであろうという点である。北京に建ちつつある現代建築の写真を見ていると、少なくとも規模や量において、日本、そして東京を大きく凌駕している。日本人、そしてその他の国の建築家達が「本物」を見に北京へ行く、という現象が再び起こる可能性がある。

・助手の堀田先生からは「中間が無いね」という話があった。スケールも大きなスケールと小さなスケールしかなく、真ん中がすっぽりと抜け落ちているし、制度においても政府レベルと人民レベルしかなく、真ん中の領域が無い。全く同感だ。

・学生達は、本当に中国に可能性があるのか?まだまだ懐疑的だった気がする。僕自身にとっては、仕事をしている以上、そして日本人にとっては、大きなマーケットである以上、何らかの可能性を発見しなければならないと思っている。

僕なりに沢山の笑いのネタを仕込み、「これでドッカンドッカンとバカ受けするぞぉ」とウキウキしながら行ったのだが、思ったより皆おとなしく、ちょっとションボリしてしまった。堀田先生は「いやあ、いつもはあんなに質問なんか出ないよ。久しぶりにエキサイトしてたんじゃないかな」と慰めてくれた?けれども。中国人の学生さんや、北京に来る学生さんはみんなギラギラしていて、僕の言うことにどんどん噛み付いてくる。それに慣れてしまっていたのかな。僕はそこらへんのオジサンなんだから、馴れ馴れしいくらいで丁度いいと思う。

写真は精華大学。

図説 「満洲」都市物語〔増補改訂版〕

投稿者 tofuku : 12:03 PM

August 26, 2006

この夏、世界で最も危険な♂

1ヶ月ほど前、日本人の建築関係者たちと共に、初めて万里の長城(八達嶺)へ行きました。北京にやってきた同業者の方が必ず押える長城コミューンツアーに同行した形。

徒歩で登るのは大変ツラい(らしい)のですが、僕のような体力不足の人やモノグサな人たちの為に、ロープウェイ等の乗り物がちゃんと用意されています。一番面白いと噂のゴーカート(みたいな奴)に乗ることになりました。

そして、奴に再会することになったのです。

そう、

greatwall_2.jpg

世界で(著作権的に)最も危険な男…

もとい、最も危険なオス…

○ツキーに!

王府井から居なくなったと思ったらこんな所に…
なんと、兄弟分の青バージョンも居ました。

greatwall_3.jpg

何かが根本的に間違っているような気がするキャラクターですが…

○ツキーの背中に乗せられ、長城の上部へと向かいます。行きは、ケーブルカーのようにチェーンに引っ張られてトコトコと登っていきます。

greatwall_4.JPG

この日は、休日だったこともあって、かなりの人出でした。万里の長城の凄さも十分凄いですが、その上にビッシリと乗っかっている観光客の多さに驚きました。

greatwall_1.jpg

世界的に稀に見る、広がりの無い、リニアーな観光地。一次元的ツーリズム。これには、友達や家族が自分より前に居るか/後ろに居るかさえ把握していれば、ハグれる事はないという長所があります。短所は、どんなに頑張って遠くまで行っても、結局同じ地点まで同じ場所を通って戻ってこなきゃいけないって所ですね。

greatwall_0.JPG

帰りは、車両同士を連結し、ジェットコースターのように下って行きます。

greatwall_5.JPG

久しぶりに童心に返りました。

投稿者 tofuku : 12:02 PM | コメント (3) | トラックバック

July 21, 2006

東京の地下と北京の地下

この前、地下鉄の話が出ましたが、その繋がりで。

タイトルに惹かれ、ブックオフで買いました「帝都東京・地下の謎」。

アマゾンによると、著者の秋庭氏は、「東京の地下陰謀」関連で幾つかの本を出しているようです。興味あるテーマではありますが、アマゾンのレビューでの評判はかなり悪い…「問題提起ばかりで殆んど解決していない」…同感です。

「赤坂見附駅のホームは何故二段重ねになっているのだろうか!?」などというタイトルを読めば、「おお、そういえばどうしてなんだろう?」と興味津々になるってもんです。勢い込んで読み出してみたものの、なかなか赤坂見附駅の記述が出てこない。あれおかしいなー、と思って読み進めると、「そういえば、赤坂見附駅は二段積みになっている。どうしてなのだろうか!?」と文末を締めくくっていました。おいおい、そこ知りたいから読んでるんだよ!

さて、場所は変わって中国の地下。ユン・チアン「マオ」にも、地下道の話が出てきます。人民大会堂と政府機関が集まる中南海の間には、とてつもなくデカい地下道が設置されているとのこと。その実態は良く分かりませんが、トラック4台が併走できるんだそうで…

中国である規模を超える大きさの建物を建てる場合、地下に「人防」を設置するように政府から指導される事があります。「人防」とは、「防空壕」と訳されます。

具体的には、天井のコンクリートは厚くしなければならず、穴を明けてはダメ/特殊な鉄扉(潜水艦のハッチみたいなクルクル廻すハンドル付)の扉を二重に付けて区画する/独立した空調機室が必要/独立した入口が必要…などなど、かなりモノモノしい装備を設置する必要があります。大抵の場合、地下駐車場や倉庫と兼用する事になるので、これぞ防空壕!というものが有る訳ではないのですが、少なくとも政府の頭の中では、非常時…というより戦時体制が想定されているということです。北京の幹線道路は、非常時には戦闘機の滑走路として使えるようになっている、なんて話もありますしね。

その一方、我が平和ニッポンではノホホンと普通の建物を建てているだけかというと、そうでもなさそうです。東京のある場所に地下街を作る場合は、上を戦車が通れるように計算しなきゃならない、なんて話もありますし、地下鉄○○線はシェルターとして使用できるように設計されているという噂は昔からありますよね。「帝都東京・地下の謎」にも、GHQによる地下軍事計画マスタープランと、地下鉄の敷設計画の相関性について解説しているくだりがあります。

違いと言えば、日本の場合は、地下鉄、道路、首都高といった公共の施設に非常時の配慮があるのに対し、中国の場合は民間の建物に要求されているという点です。中国の人民には、非常体制がより身近にある、という事でしょう。

地下施設。興味はそそられますが、こういったものが大活躍する事態にはなって欲しくないものです。

写真と地図で読む!帝都東京・地下の謎

投稿者 tofuku : 08:47 PM | コメント (2)

July 03, 2006

メトロ

shokudo.jpg

パーカッショニストのおがたさんのブログを見ていて、最近、浅田次郎氏の「地下鉄(メトロ)に乗って」を読んだのを思い出しました。地下鉄の入口がタイムトンネルになっていて、父と反目していた主人公がそこを通って若い頃の父と遭遇して…というちょっと甘酸っぱいファンタジー小説。

地下、というのはそれだけで想像力をかきたてる存在ですが、特に東京の地下鉄は、タイルの壁や模造石の床に時間が積層しているかのようです。おそらく、東京の地下鉄をあまり利用していない人は、この小説の設定にはあまりピンと来ないでしょうが、日ごろ銀座線のホームや出入り口に慣れ親しんでいる人は、なんだか納得がいってしまうのでは。

名前だって、つい最近まで「帝都高速度交通営団」という名前でした。政治的な思想信条は抜きにして、このモノモノしい言葉の響きはとってもカッコよかったと思うんです。そもそも、「東京メトロ」なんて味気ない名前だったら、この小説も、「帝都物語」も、昭和初期のモダン東京を舞台にしたお話は生まれなかったように思うんですがね。どうでしょうか。

「帝都物語」の方も、ストーリー上、地下鉄はかなり重要な役割を果たしていたように記憶してます。渋沢栄一に向かって、寺田寅彦が地下鉄の重要性を説き、西村真琴が東洋初のロボット「学則天」を使って掘る…そんな感じだったと思います。昭和初期の知識文化人総動員のハチャメチャSFファンタジーですが、人物の設定が絶妙に史実に基づいているおかげで、虚実の境界がアイマイになっている所が面白かったです。子供の頃は、地下鉄はロボットが掘ったものと信じきっていましたもん。西村真琴博士の息子は「水戸黄門」の西村晃氏ですが、映画では彼がお父さんの役をやっていました。これも、虚実をない交ぜにする面白いキャスティングでした。

東京では、地下鉄のすぐ横に建物を建てる場合、上野の東京メトロ本社に行って打ち合わせをしなければなりません。僕が行った時には、まだ名前が「帝都高速度交通営団」でした。名刺を頂いた時に、思わず「カッコイイですねぇ!」と感嘆してしまい、不思議な顔をされました…

ちなみに、その「営団」の本社ビルですが、地下鉄上野駅の「1番」出口に、地下で直接繋がっています。だから、上野駅の1番出口は他の駅に比べてちょっと遠いです。

ちょっとしたトリビアでした。

地下鉄(メトロ)に乗って

帝都物語〈第壱番〉

大東亜科学綺譚
「帝都物語」のネタ帳的な存在。西村真琴について詳しい。

投稿者 tofuku : 08:50 PM | コメント (4)

June 21, 2006

杜甫甫な気分

gugon3.jpg

デジカメを東京へ忘れてきてしまった…トホホ。

と書きかけて、高校時代(中学時代?)の漢文のテストを思い出しました。漢詩の出題で、読み下し文、現代語訳と続いた最後に「この漢詩の作者を書け」という問題がありました。

正答は「杜甫」。「とほ」という読みまでは思い出したのですが、どうしても漢字が思い出せない。しまった、文の中身は勉強したのに、作者の漢字までは押えてなかった!どうしてこんな本質的でない問題出すの!?と愚痴ってみてもどうしようもありません。迫り来る時間に焦り、いろいろ書いてみてもどうもしっくり来ない。終了のチャイムが鳴り、ええぃ!書いてしまえ!と「とほ」と平仮名で書きました。

集められるまでの間、自分の答案を眺めました。漢文の、漢字ばかりで比較的密度が濃い用紙の最後に書かれた「とほ」の二文字が際立っています。何と言う情けない気分。さらにまた「とほ」という語感が、追い討ちをかけるようにトホホな気分を増幅します。

というわけで、「トホホ」という日本語は、「杜甫」が書けなかった人が考え出したのだ、と、いまだに信じています。

…齢を重ねた今でも中国文学オンチなんですけれど、折角中国に居るわけだし、中国の基本的な漢詩や文学は読んでおきたいな、と思っています。中国人に中国文学の話をすると、「おおっ」と喜んでくれますし、そしてなにより、漢詩を吟じるのってちょっとインテリぽいしね!目指せ!江守徹!

新訂 孫子

全然漢詩じゃないんですけど。
ビジネス書などで取り上げられる「孫子の兵法」ですが、原典をあたる機会ってあんまり無いんじゃないでしょうか。「戦争っつーのは国の一大事だから、よくよく考えてからやらなきゃあかんよ、やらんで済むに越した事はないよ(意訳)」という一節から始まる冷徹な合理主義に驚かされます。これが3世紀に完成されているのが中国という国。

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)

全然古典じゃないんですけど。
スタイリッシュな文章の中に埋め込まれた中国の体制批判。魯迅は、共産主義を潜り抜けることができた数少ない中国のヒーロー。(ワイルド・スワンによれば、毛沢東政権が完成する前に死亡したため、粛清を逃れる事ができたとの事)


次の帰国までは、新作写真ナシということで、宜しくお願いいたします。

投稿者 tofuku : 08:56 PM

June 10, 2006

マオ

tienanmen_flag1.jpg

おいおい、このヒト、ほんっとに大嫌いなんだな…というのが口絵のキャプションを見た時の感想でした。

長いこと書店でヒラ積みになっている話題の本なので、もう読まれた方も多いかもしれません。「マオ―誰も知らなかった毛沢東」を読みました。「ワイルド・スワン」の著者が、十数年の歳月をかけて調査執筆した毛沢東伝。湖南省の農村に生まれ、権謀術数を駆使しつつ中国の頂点に君臨し、失脚して死亡するまでの82年間を執念の筆致で描き出しています。

文面のそこかしこからにじみ出る著者の毛沢東に対する過剰な憎悪が時折鼻につくものの、講談社のHPからダウンロードできる参考文献リストや、毛沢東の親族や各国の要人までを網羅する巻末の膨大なインタビューリストからは、著者が凄まじい量の調査を通じて本書を書いている事が伺え、ここに書かれている事は真相にとても近いのだろうな、と思わせるには十分です。

上巻では、時にソビエト共産党や国民党と通じながら共産党内での勢力を伸ばし、中華人民共和国を建国、磐石の権力態勢を敷くまでが描かれ、下巻では、大躍進運動や文化大革命を発動しつつ、反対勢力を次々と粛清しながら権力を維持していく様子が描かれています。その間、毛自身の家族を含む多くの人々が死や狂気に追いやられていきます。要は、毛沢東の冷酷かつ非情な所業がしつこいくらい次々と書かれているのです。途中でイヤになってしまいそうなものですが、その毛沢東の所業が想像を絶しているお陰と、著者(および訳者)のすぐれたペンのお陰で、飽きることなく読み進めることができます。

続いて、ユン・チアン氏の前作「ワイルド・スワン」の方も読みました。著者自身、そしてその母親と祖母の人生を三代に渡り、歴史に翻弄される生涯を描いたドキュメンタリー。「マオ」と「ワイルド・スワン」、この二つを読むと、互いに表裏一体の関係をなしていることが分かります。「マオ」は「ワイルド・スワン」のアナザー・ストーリー的な位置づけなんですね。「マオ」では、自身の権力の拡大のために人民を巻き込んだ計略を実行していく指導者の姿を描き、「ワイルド・スワン」では、その結果、痛めつけられる一家の姿を描いています。合わせて読むとかなりの分量になりますが、是非とも両方読まれる事をお勧めします。

ちなみに、どちらも翻訳がよく、とても読みやすいです。

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上

ワイルド・スワン〈上〉

投稿者 tofuku : 07:51 PM

February 10, 2006

原付さんぽ

takanawa_shobo.jpg

先週は中国の旧正月休みでした。思い切って南国に逃避しようかとも思ったのですが、外せない用事がポツポツと入ってしまい、まとまった時間が取れませんでした。結局、少し時間を見つけては東京の美術館や本屋を訪ねてプラプラする…という休みの過ごし方をしました。

原美術館まで行ってきました。道中は三田、高輪といった比較的起伏の激しい所で、自転車で行くのはチトきつい。買ってこのかたコレといった活躍の場がなかったEC-02がようやく日の目を見ました。

綱町三井倶楽部、高輪消防署(写真)、高輪プリンスホテル、旧竹田宮邸などの名建築が随所にあります。さすが元祖山の手・元祖セレブ地区。目的地の原美術館だって元々実業家の豪邸だもんなぁ。

開館5分前にたどり着いたオラファー・エリアソン展。入口にはもう、10人くらいの方が待っていました。なんでも、土日は作品鑑賞に支障が出る程の人出で、会期が延長されたんだそうです。

暗闇に霧を散布して人工的な虹を作り出したり、光をプリズムを通して分解し、それを用いて美しく空間を再構成したり、一室をカメラ・オブスキュラにしたり。ダ・ヴィンチやレオナルドの時代の、「プリミティヴな科学」の現代的な再解釈とでも呼べばいいんでしょうか。子供の頃、はじめて「学研のかがく」に触れた時のような新鮮な感覚がありました。

一方で、そんな「科学」のルーツは、人々を驚かせるための「魔術」や「奇跡」であった訳です。そんな、おどろおどろしい魔術的な雰囲気も同時に感じました。古の為政者が日食や月食を予言することによって人心を掌握した事と、エリアソンがテート・モダンのホールに巨大な人工の太陽を浮かべた作品:「ウェザー・プロジェクト」によってその名声を不動のものにしたという事実は、本質的には同じ事なんじゃないだろうか。そんな事を考えました。

小ぶりですが、いい展覧会だと思います。是非。

投稿者 tofuku : 05:26 PM | コメント (2)

January 12, 2006

希望格差社会、下流社会、縦並び社会…

今日の北京は雪です。

毎日新聞の「縦並び社会・格差の現場から」という特集記事を教えてもらい、新年早々暗い記事載せるよねぇ…と思いながら読んでいました。第一部が今日で終了したようです。

これをキッカケとして、年始はこの周辺の本を読むことになりました。なんとも暗い「読み初め」になっちゃいました。

4年前、ワールドカップに熱狂する日本に、「日本も貧富の格差が広がって、ブラジル化してるんだなぁ」なあんて冗談半分で言っていましたが…それも冗談でなくなってしまいました。4~5年前から漠然と抱いていた不安が、次第にクリアーになってきた思いです。

「近頃の若者は…」と書き出すのは自ら「オジサン宣言」するのと同じ。確かにオジサンには違いないけれど、自分から進んで認めるにはまだ早いと思っています。それでも幾度か、
自分より若い世代に対する違和感
を耐え切れずに綴ったり、フリーター達にとり囲まれそうな暴論(ごめんなさい)を書いて来ました。自分の中でずうっとモヤモヤとしていたのですが、そういうことだったのか、と少し胸のすくような読後感を得ました。

そして、何よりも、自分自身の事をズバリと指摘された(気分になった)事。社会学って残酷です。今年は、社会学的なカテゴライズから脱出すべく、四苦八苦する年になりそうです。

がんばろっと。

PS 年末年始は何読んでも前向きに解釈できるので良いです。


希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く
最終的には、所得でもなく、機会でもなく、「希望」に格差が生じる、というコンセプトが衝撃的。色々批判があるようですが、決定打。

下流社会 新たな階層集団の出現
アンケート統計をネタに、「中流層」の消滅を解説。統計なんてイジリ方と解釈次第で、どんな結論でも導けてしまうものなので、一歩引いて読む必要があります。所々に差し込まれたインタビューがリアル。

カーニヴァル化する社会
2chの「祭り」、「ワールドカップ」。

投稿者 tofuku : 06:43 PM

December 29, 2005

忘年&新旧年

近況報告代わりに、たまにはニッキらしいものを書いてみます。

beijing_hudong_guozizhan.jpg

昨日は、ローカルスタッフを含めた忘年会をやった。こちらの正月は旧正月なので、彼らにとっては未だに年内真っ盛りなのだが、日本の風習だからキミ等も合わせたまえ!と半ば強引に。「コトシハオツカレサマデシタ。ライネンモドウゾヨロシクオネガイイタシマス!」と長い日本語を教え込み、斉唱してから乾杯。

朝からは業者打合せ。対応が悪いと大騒ぎしたお陰で責任者がやってきた。1年以上、ずっとすったもんだしている問題業者(能力が無いくせに政治力だけはあるのでややこしい)。今度こそキツーくお灸を据えたつもりだが…。1年前、彼等が描いて来た図面―プロが見れば一目でバカにされてると思うような図面―を彼らの目の前で破り捨てなかったのを今でも悔やんでいる。あの時甘い顔をせず、しっかり糾弾しておけば、ここまで長引かせる事は無かったかもしれない。

今日の昼になって、某やり手オンナ社長から電話。彼女は休みを取って現在はラサに居るそう。「北京のプロジェクトの施主が、31日に打合せをしたがっている」との話。一瞬戦慄するが、「でも、北京に誰も居ないと思って断っちゃった」との事で、ホッ。それでも資料は送付しなければならないそうで、何とか東京に連絡をつけて、対応してもらう。みんなが居て良かった。

午後は、作成した模型の写真撮影をしたり、資料を整理したりして過ごす。完全に年末モード。正月の三が日は、のんびりしつつ、2つある自分の仕事を考えることになりそう。どちらも企画段階で、本来は設計者がノコノコ出てくるフェーズではない。でも、僕にとっては企画段階からアイデアが出せるというまたとないチャンスであり、施主も熱心なので参加している。

考えているのは本格的に休もうとしている旧正月の計画。南国に逃げてマレー半島を鉄道で縦断、どうせ乗らないのだがバイクの免許を取る…等々。今のところ、妄想するだけで十分楽しめているので、決定はペンディングしておこう。

アマゾンのアフィリエイトをチェックした。皆さん、僕のサイトからアマゾンに飛び、そこで僕が薦めたモノ以外のモノをチョコチョコと買っておられる様子だが、以前ちょっとだけ紹介した「ブレッソンのパリ」を購入された方が居た。僕が「紹介する」というのもおこがましいくらいの著名写真集だが、それでもなんだか嬉しい。

中に、いずれココで紹介しようと思っていた井波律子著「酒池肉林―中国の贅沢三昧」を買っている方が居て驚いた。文献を紐解きながら爽快な文章で綴られる、桁違いにスケールの大きな中国的贅沢。中国のスケールアウトの理由が、なんとなく分かった気になれる楽しい本。

最初「皇帝の贅沢」から始まって、「貴族の贅沢」「商人の贅沢」と続いていくので、竜頭蛇尾になってしまっているのが難点。でも、深読みしすぎかもしれないが、竜頭蛇尾こそが中国史の特質だ、という著者の暗黙のメッセージがあったりして、とも思う。

思えば殆んどの中国王朝が非常にくだらない終わり方をしている。「三国志」の終わり方にしたってナアナアな感じだった。最終巻に至っては、著者の吉川英治自身が突然登場、「竜頭蛇尾とはこのことだ」なんて居直ってしまっている。

経営のバイブル、「孫子」にしたって、「孫子曰ク、兵ハ国ノ大事ニシテ、死生ノ地、存亡ノ道ナリ。 察セザルベカラズ。」(『孫子は言いました。戦争は、生きるか死ぬか、とっても大変な事だから、良く考えてからやりなさいよ、やらんに越した事はないよ』くらいの意味)という洞察に溢れた一文から始まって、内容はどんどんテクニカルな話になっていく。最後なんて「スパイは上手に使おうね(超意訳・違訳)」だもの。この書の素晴しい所は、前半に集中している。インパクトを最初に持って来て、後は惰性で乗り切る。欧米的な論旨展開の仕方だが、それにしては論理的な裏づけに欠ける。それが、中国人なのかもしれない。そう考えると、初見のインパクトに重きが置かれる中国の建物たちの存在も、納得がいく。

次回からいつもの調子に戻りますので、宜しくお願いします。

酒池肉林―中国の贅沢三昧

新訂 孫子

A Propos De Paris

投稿者 tofuku : 09:03 PM

November 14, 2005

ブックフェアー

book_fair.jpg

先週、学校内でブックフェアーが開催されていました。フェアーとは言っても、僕がそう呼んでいるだけのことで、露天商が年に二回程度、一気にやってきて去って行く、という程度のもの。それぞれの露天商はデザイン/中国絵画/西洋絵画/建築、等の得意分野があり、それに群がる学生たちで非常に賑やかな雰囲気になります。

一通り見てみましたが、比較的安価な中国の本が半分ほど。残りは、日本から流れてきた在庫処分品か、恐らくパテントを取得していない不正コピー書籍です。

日本から輸入されている書籍は、おそらく日本ではあまり省みられるものではないでしょう。そんな本でも、「最先端情報」に飢えている中国の若者達は、まるで全ての情報を頭の中にぶち込むかのように、真剣に立ち読みしています。どうしてもコレは読みきれない、と判断した場合のみ、露天商と交渉して購入しているようです。

ただでさえ部数が出るわけではない専門書の海賊版は許されるものではありませんが、エンドユーザーである学生の立場を考えると、同情できる点も無い訳ではありません。CDの時も書きましたが、正規版を購入しようにも殆んど流通していないからです。オリンピックに向け、取締りが強化されるでしょう。その時、彼らは一体何を読むのか。

個人的には、海外パテントの書籍でも、中国で印刷してコストカットすれば、十分コンペティティブな価格設定が可能だと思っています。また、高い正規盤と安い海賊版が競合している例は、想像するほどにはありません(CDの例はあるけれど、一部の売れ線だけです)。中国でも、きちんと流通する正規盤は、海賊版を駆逐できると思います。海外のパテントホルダーは、ポスト・オリンピックを睨んで、そろそろ本腰を入れるべき時が来ているのでは、と思います。

投稿者 tofuku : 01:00 AM

November 01, 2005

DJ選曲術

shanhai_nanzhian.jpg

DJ選曲術―何を考えながらDJは曲を選び、そしてつないでいるのか?
沖野 修也 (著)

バンドスコア/音楽教則本界のリーディングカンパニー、リットーミュージックからこんな本が出たそうです。今までもDJ関連の書籍は色々出ていますが、理論的に書かれたのは「世界初の試み」だそう。

★DJの思考回路を論理的に記した世界初の試み「選曲論」
★ラリー・レヴァンほか有名DJ12人の選曲メソッドを徹底分析
★沖野修也による誌上オリジナルDJミックスを3パターン収録

世間的には「無軌道な若者達」の代表として認知されているDJ(実際はマジメな好青年ばかりで、そんなことは無いと思うのですが)。彼らのための理論書が出てしまうとは、勉強大好きニッポン人の面目躍如です。

人前でDJをやらなくなって久しい僕ですが、以前、好んで音楽理論書を買って本棚の肥やしにしていた頃を思い出し、かなり魅かれています。どんな風に理論化してるんでしょう?読んで、iTunesの選曲を考えてみるのもいいかも知れません。

音楽理論書といえば、菊地成孔さんがブルータス誌の「旅に持って行く本」というアンケートに"Lydian Chromatic Concept of Tonal Organization for Improvisation"を挙げて居ました。途中で寝てしまっても落ちない程度のボリュームが良い、とか書いてあったと記憶します。僕の中では音楽理論書は、思想書と並ぶ「眠れない時の特効薬」です。あの菊池氏でもそうなんだぁ、と思って何となくホッとしてみたりして。

これで、僕にとっても建築書は「かなり眠れるチョイス」です、とカミングアウトできます。

投稿者 tofuku : 05:33 PM

September 29, 2005

ノートは買いましたか

note.jpg

ほぼ日手帳、周囲に二人ほど、お仲間を確認しました。そのうち一人は、先日のニッキを見て購入したとか。実は自分の姉なんですけど…手帳の購入よりも、そんなにツブサに弟のニッキを読んでいた事に驚きました。姉は、件の手帳成功本「一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法」も図書館で借りてみたと言っていました。僕の要約は概ね正しいらしい。

ほぼ日手帳の元になった「ほぼ日刊イトイ新聞」で、糸井氏が「『夢を叶える!』わけでもない、85点くらいの手帳です。」と「成功手帳」をチクリとやってました。やっぱ、意識してるんですね。

僕自身は、「手帳成功術」に関しては、「そうかもしれないなぁ」と思う程度でしかありませんが、この現象自体には非常に興味を持っています。バキバキのIT企業の経営者が、ローテク仕事ツールの権化とも言っていいような「手帳」を称揚している、という点は特に面白いですね。

国中に「手書きブーム」が巻き起こっている、もしくは、巻き起こしている人たちがいるようです。東急ハンズやロフト、他の大型文具店でも、手帳コーナーだけではなく、高級メモ帳や高級ノートのコーナーが出来上がっています。今日、仕事の帰りに寄った青山ブックセンターにも、モールスキンの大きな棚がドカンと有りました。ゴッホ、ピカソ、マチスが使っていたとされるノート。美術/デザイン関係者が多く訪れる書店だけに、モールスキンも力を入れているのでしょう。インディアナ・ジョーンズにも出てきたあの手帳でもあるので、書店の考古学コーナーに置くのも良いかもしれません。

確かに、街中でふと立ち止まり、モールスキンを開いてささっとスケッチするような建築家像には憧れます。でも、ル・コルビュジェのように(下記参照)、あの厚さを気合のこもったスケッチで埋め尽くす自信は到底ありません。でも、同業者と話をしていて、絵を描いて説明したくなる時や、雑談がふと仕事の話に変わってしまい、何かメモでも取らないと格好がつかなくなってしまう事が時たまあって、僕はそういう時のために、小さなノートを持ち歩いてます。それが、写真左にあるコクヨの「測量野帳」という商品です。元々は測量士が現場でメモをするためのもの。薄いけれども表紙の厚みはしっかりとあり、立ったままでのメモにも適しています。そして何より安い(150円程度)。これって、建築関係の人たちしか使わないものだと思っていたのですが、他の業種の方、とりわけアイディア仕事をする人たちに重宝されているそうです。

写真左は最近薦められて買ってみたロディアのメモパッド。高いだけあって紙質は素晴しいものがあります。これも最近持ってる人が増えているようですね。

自己顕示欲のある人はインターネットに繋がってブログを発表し、そうでもない人はメモや手帳にシコシコと日記を書きとめる。手でスケッチをする人も居ればケータイで写真を撮って送る人も居る。もちろん両方やる人も多いでしょう。人々の行動が大きく二極化している、そんな時代。

Voyage D'Allemagne: Carnets

Voyage D'Orient: Carnets

ル・コルビュジェ:「旅の手帳」
コルビュジェが旅行の道中で書き留めたスケッチ類を、手帳丸ごと複製した本。非常によく出来ています。ただしフランス語であるだけでも十分絶望的なのに、手書きである点でさらに絶望的です。一応、英語の解説つきです。

注:なんか最近、アフィリエイトばっかですね…今のところの収益は186円!なんとか本を一冊買えるまで続けますので、宜しくお願いします。

投稿者 tofuku : 04:45 PM

September 25, 2005

手帳は買いましたか

僕は、今までスケジュールやアドレスの管理に、PDAというモノを使ってきました。社会人一年目から使ってますので、もう丸8年になり、今使っている奴は3代目です。

最初は、海外製の機械を買い、フリーのソフトウェアで日本語化して使っていました。当初は普通の店ではあまり売っていなかったので、ちょっとした優越感すら感じていましたよ。ところが人気が高まったところでソニーが参入。そりゃ日本メーカーだったら日本語も使いやすいに決まっているので、僕もソニー製に乗り換えました。

ところがところが、そのソニーが今度はPDA市場から撤退。それまでこの種のPDA(PalmOS搭載機という)を愛用していた人は一気に難民に転落してしまいました。今のところ壊れても居ないので困ってはいないものの、そろそろ別の手段も考えなくてはと思い始めました。

今度は、どうしようか。大企業の論理に振り回されないデバイスにしたいと思っているのですが、吹き荒れる企業買収の嵐の中にあっては、ソフトウェアだろうがハードウェアだろうが、これで確実!というものは存在しません。消去法で一番確実なものは何か、と絞り込んでいくと、昔ながらの紙と鉛筆の手帳になってしまうのです。

まあそんなわけで、最近は手帳について思案していました。そして、中国にかまけていてちっとも気づきませんでしたが、ここ数年、「手帳ブーム」と呼んでもいいような状態が到来していた事を知りました。

個人的に興味を持ったのは、「一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法」、「人生は手帳で変わる フランクリン・プランナー トライアルセット」といった、手帳ノウハウ本とビジネス成功本が合体したような書籍が出され、それがかなりのセールスを記録していた、という現象です。私はこれらの本を立ち読みしてすらいないので詳しい事は分かりませんが、いろいろなウェブを読み比べますと、

将来の夢とか成功像を設定し、それを実現するステップを書き出し、日々ごとにさらに細分化した目標を設定していく。それを手帳という物理的な形で持ち歩く事で、頭に定着させる。そうしていると自分の行動が自然と目標に向かい…そして「成功」の二文字が!!

という事のよう(間違っていたらゴメンナサイ)。タイトルを見たときには、トンデモ本の一種かと思いましたが、手帳を利用した自己管理術とも呼んでもいいような、非常にマットウな事が書いてあるようです。

「一足飛びに成功できると思うなよ、やっぱ目標に向かって一歩一歩、着実に歩んでいかなければならんよ」という道徳的な視点、成功という華やかな事象が、手帳にシコシコ書き留めるという地味な作業によって達成されるという点に、自分の「日本人魂」がガンガン揺さぶられます。手帳は、仕事をする人なら大抵の人が使っているモノだと思うのですが、そんな「至極ありふれたモノ」が、使い方次第によっては、なんと「夢実現のツール」になっちゃう!という驚き、というオマケ付きです。「あの遊び人の金さんが!まさか!」の驚きに通じるものがあります。何度も言いますけど、この本読んでない僕でも、揺さぶられちゃいました。

こうして手帳を買う決意を固めたものの、システム手帳の価格の高さにいきなり躓きました。こんな出費をして成功したとしても、「えぇっ!あのご隠居が!」的な驚きは無いでしょう(自分的に)。デザイナーに愛用している方が多い「無印良品システム手帳」も考えましたが、イマサラ参入するのもねぇ…

さらなる検討の結果、ほぼ日手帳を買うことに致しました(これもイマサラ感ありますけど)。申し込みの締め切りは27日昼まで。お仲間募集中です。

投稿者 tofuku : 11:21 PM | コメント (2)

September 24, 2005

王慶松[Wang Qingsong]、艾未未[Ai Weiwei]

同僚の中国人たちに現代美術のスペースの使い方を知って貰おうと、798ビエンナーレに再び行きました。先日廻ったところを案内し、僕自身はその他のギャラリーを2・3、廻ってきました。主だったところは大体見たつもりですが…まだ他にも、面白い展示はあるかもしれません。

beijing_biennale9.jpg

各々、ギャラリーを見てもらった後に再び集まってat cafeでお茶(のつもりがビール)し、その後、美術書店のTimezone8へ。Timezone8は中国の美術関係の書籍を数多く出版している香港の出版社ですが、北京のココにだけ、書店を経営しています。東京の美術書店には到底かなわないもののなかなかの品揃えで、798に行った時には立ち寄ることにしています。

特に北京ベースの現代アーティストには強いようで、以前の日記でもちょっとだけ紹介した艾未未[Ai Weiwei、アイ・ウェイウェイ]、先日のマヤさんからのコメントにもあった王慶松[Wang Qingsong、ワン・チンスン]等の作品集も出しています。

Wang Qingsong: Romantique / Timezone8
この前の森美術館での展覧会"Follow me"のポスター(同タイトル)が印象に残っている人も多いのでは。大掛かりなセットを作って撮影する写真作品が中心。西欧/中国の歴史的絵画のパロディ(パスティーシュと呼ぶべきかも)が散りばめられいて、深読みしても面白い。今、中国で最も注目されている一人と言えるでしょう。興味ある方は、ウェブサイトもあります。


Ai Weiwei: Works : Beijing, 1993-2003 / Timezone 8
ニューヨークからの帰国組で、中国の現代アートを一気に世界レベルに押し上げた一人。もともとは映画を専攻した人で、写真、彫刻、インスターレーション、建築など、やたらフィールドが広いのが特徴。北京オリンピックのメインスタジアムにも関わっています。表現は非常に洗練されていて、中国的な「やりすぎ感」はありません。ちょっと寂しい気もするけど、だからこその世界レベルとも言えます。

投稿者 tofuku : 06:36 PM | コメント (2)

September 04, 2005

隋建国 [Sui JianGuo]

sui_jianguo.jpg

798芸術区を歩くと、アートがそこここに転がっているのに遭遇します。パブリックアートではありません。保管場所に困って外に出していたら、パブリック化してしまったということなんでしょう。製作場所が集中する798ならではの風景です。

巨大化した毛沢東のジャケット。隋建国(スイ・ジェングォ、Sui JianGuo、中央美術学院の教授でもあります)という彫刻家の代表作です。90年代、中国の現代アートが世界的に注目された時期がありました。彼もその時期に世界へ飛び出た一人。

「戦後」「高度経済成長期」「バブル」「ポスト・バブル」etc.…日本の戦後史は経済の状況から語られる事が多いですが、それぞれの境界はどちらかというと曖昧なために、アーティストを世代分けすることは便宜的な作業にならざるを得ません。それに対して中国では、「建国(49)」「大躍進運動(58-59)」「文化大革命(66-77)」「天安門事件(89)」「改革開放」etc.…、ほぼ10年ごとに政治的なエポックがあり、それらがありとあらゆる分野に強い影響を与えているため、アートに限らず、社会を明確に世代分けすることが出来ます。

中でも文化大革命は非常に大きなエポックです。10年以上に渡り、知識階級が地方へ放逐され、大学がまともに機能しなかった時代なんですから。例えば、中国では、現場で活躍している45歳以上のビジネスマンに会うことは非常に少ないです。というのも、まともな大学受験が行われるようになったのはこれより後の世代だから。中国の「若い世代がバリバリ活躍し、ムチャクチャなビジネスをやっている」というイメージも、「オジサン不在/経験者不在」である故の活気と無鉄砲さであり、またそれらは政治史とは無関係ではないのです。

90年代の中国の現代アートシーンを牽引してきたのもそういった「ポスト文革世代」のアーティスト達。正確には、文革後期に大学でアカデミズムの薫陶を受け、終結と同時期に活動を開始した世代です。(前述したようにこの時代にはまともな大学試験が行われていません。ですから、文革終了後に学位を取り直している人も居ます。)この世代に見られる特徴としては、共産主義国的なアカデミズム教育による確かなスキルを背景にしているのは勿論ですが、それと同時に政治的な立ち回りにも長けている、ということでしょう。

ご存知のように、中国社会では表現の自由は保障されていないため、アーティストとして活動するためには、自身の社会的なポジションはもとより、その表現方法にも、ある種の政治的な「老獪さ」が必要になってきます。隋建国氏のこの作品は、その傾向を顕著に示していると言えます。つまり、毛沢東の衣服だけを取り出すことで、フェティッシュに礼賛しているように読める一方で、形骸化した共産主義への鋭い批判であると読むこともできる。前者は国内、後者は海外マーケット向きの二つの貌を持っているのです。実際、この彫刻は中国では地方自治体によって購入され、プロパガンダ彫刻よろしく公園に設置されている一方で、「中国アートの新潮流」として海外に発表されています。

中国を代表する作家/評論家、林語堂が「中国=文化と思想」の中で書いているのですが、この「老獪さ」は中国人の重要な資質の一つに数えられています。中国の現代アートは、共産主義的なモチーフが散りばめられ、そのクールネスに目が奪われがちですが、その根底には「あざとさ」「老獪さ」が横たわっています。ここに注意しながら中国アートを楽しむのも一つの方法なのでは、と思います。

中国=文化と思想

林語堂が、中国について海外向けに英語で解説した古典的名著。中華民国時代の人なので少々古い本ですが、中国人のメンタリティを理解する上で重要なヒントになります。

Beijing 798: Reflections On Art, Architecture And Society In China

798芸術区の成り立ちおよび活動記録。出版元のTimeZone8は中国の現代アートを海外へ積極的に紹介しています。798内に美術関係の書店も持っています。

Sui Jianguo

隋建国のモノグラフ

投稿者 tofuku : 07:56 PM | コメント (2)

January 10, 2003

明日でオシマイ。



いよいよこのニッキも明日でおしまい。でもいろいろやらなきゃならん事があるので、またまた手短。11日のベッドでのパーティには是非いらして下さい。

バーバレラの原作はフレンチ・コミックなんですね。絵をごらんになると分かると思いますが、「コブラ」にも出てくるような人体改造的なイメージもあって…ほんとにこのあたりがネタ元なんではないかなー、と思っています。

投稿者 tofuku : 12:00 AM

January 06, 2003

閑話休題



「未来セクシー」のお話が続いていますが疲れたので閑話休題。

正月は、「コブラ」の他にもこんな本も読みました。クリスチャン・ワースター著「ザ・コンピューター 写真で見る歴史」。最近、良い本を出すようになったタッシェンから。

遂に和訳版が出たので買ってみました。タイトル通り、コンピューターの歴史を豊富、かつ素晴らしい図版で解説していて、ネタ元としても良い本だと思います。いや、何のネタかはともかく。

テレビを見ていると、どこの市町村にでも、「おまえら何して食っとるんじゃ!」と叫びたくなるような郷土史の専門家が居ますね。年金生活の余生は郷土史家として生きようと常日頃願っているボクとしては、コンピューターも押さえとかなきゃなりません。目指すは、ビット・バレー渋谷の郷土史!

投稿者 tofuku : 12:00 AM

January 05, 2003

未来セクシー#2