October 25, 2008

建築家ブログ

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グーグルでちょっと検索すると、建築家のブログ、というのがバンバン引っかかってくる。自分の作品を紹介するもの、素敵なインテリアや映画を紹介するもの、最近読んだ哲学書を解説するもの、建築と格闘する毎日を綴ったもの、色々あるけれど、政治的な話やプライベートな話題は比較的ひかえめだ。

政治や経済の影響をモロに受ける業種であるにも関わらず、政治的な話題が避けられるのは、「どこから仕事が来るのか分からない業種」というのが大きいんだろうと思う。自分のプロモーションのために開設したはずのブログで、ヘタに特定の市町村や企業を批判して、将来の顧客を潰していたんでは元も子もない。

プライベートな話題という奴もクセ者だ。生活に密着した空間を提供する住宅専門の建築家ですら、その私生活はベールに包まれている。というより包まなければならない。建築家は、おいしいワインとそれに合うチーズ、美味しいイタリア料理店を薦める事はあっても、飽食を原因とする糖尿病で通院している事はひた隠しにしなければならない。女房と喧嘩した、娘がコギャルになっていた、カップラーメンとコーラが好物、なんて事は口が裂けても言えない。娘は広いテラスの上でフルートの練習をしてるようでなきゃ具合が悪い。日々、メディアで流布される「良い生活」を演じ続けなければならない、哀しい職種なんだな、たぶん。

あらあら、皆さん大変ですねぇ、と高みの見物を決め込んでいるわけではなく、僕自身も、そのあたりちょっとは気を使う事がある。この前、北京でフリーペーパーを発行してる方から、一週間のランチを紹介して下さい、という依頼があった。一週間、毎日ランチの写真を撮って記事にするそうだ。

自己顕示欲のおもむくまま、媒体には喜んでヒョコヒョコ出て行く方なのだが、これには困った。あなたは、カップラーメンや弁当を食べ続けている建築家に、終の住処の設計を頼みますか?もし、その一週間だけ頑張って、こだわりのパスタやサラダ、ちょっと意外!にヘルシーな中華料理やらを並べたとしても、どうしても嘘くさくなってしまう。というか嘘そのものだ。ただでさえ少ない仕事がなくなってしまいますので、と丁重にお断りした。

結局ココに書いちゃってるけれど。

このニッキは、元々は、1996年に始めた、自分が好きな音楽を紹介するただの音楽サイトだった。それを書いていた奴が、たまたま建築設計をやっていて、たまたま中国で仕事しているだけの事でして…最近、仕事で知り合った方々に発見される事が多くて、とっても恥ずかしい。とはいえ突然カッコつけた文章にシフトするのはもっと恥ずかしい。

写真は美術館のオープニングで揚げられた風船。いらして下さった皆様、有り難うございました。

投稿者 tofuku : 01:12 AM | コメント (2)

May 15, 2005

ダルマトンプク史#3

10代の人から見れば十分オッサンですが、自分史を記すにはまだまだ若造な自分。「私の履歴書」に登場する偉人達のように、別段貧しい家に生まれたわけでも、戦争の経験をしたわけでもないので、自分史なんて簡単に終わってしまうだろうと思っていたのですけど、思い出していくといろいろあるものです。

今では、「東福ってカルチャーな奴だよなー」と(半分イヤミ交じりに)言われるようになった僕ですが、子供の頃はキンニクマン消しゴム、ガンダムのプラモデル…etcをちょっとかじりはするけれども特に熱を上げることも無い、至って普通、いやむしろ趣味人予備軍とは程遠い子供でした。何に夢中になっていたかと言われても、イマイチ思い出せませんが、あえて言うなら工作かな。といってもラジコンのように高度なものではなく、電池やモーターを使うようなプリミティブな工作を作ったり、改造したりして遊んでいました。ドライバーを使って家の電化製品を分解したりもしてましたね。

以前も書きましたが、我が家ではビデオでも、パソコンでも、購入するのは遅いほうでした。僕自身も流行りものは買ってもらえなかった記憶があります。自分がそれほど欲しがって居なかったからか、それとも親の躾なのか。

そして、今でこそ音楽本に原稿を書かせてもらったりもする自分ですが、両親が音楽好きなわけでもなく、熱心に聴くほうではありませんでした。歳の離れた姉が聴くクイーンやユーミンの曲を姉の部屋に遊びに行って聴く程度。そんな中、やっと、自分のCDプレイヤーを手にしたのが高校二年生の時。それを使って最初に聴いたのはCDではなく、姉からもらったシャカタクのカセットテープで、もちろん「ナイトバーズ」入り。彼らのAOR系フュージョンサウンドは「憧れの大人の世界」そのもので、何も知らない高校生をノックアウトするには十分でした。これがキッカケとなって、CDやモノを買いまくる物欲野郎に変身してしまったようです。

時は80年代末期のバブル崩壊前夜。88年に東京にJ-WAVEが開局し、アーバン系オシャレミュージックが大量に日本に入ってきていました。中でもデイブ・グルーシンが率いるGRPレーベルは、レコード店(CD屋と呼ぶことが多くなっていた)の一角を占める程に勢力を拡大していました。注目の新譜の殆どはGRPという状態。CDを買うお金は無く、家の近くのCDレンタル店で片っ端からCDを借りてテープに落とし、作られた「都会生活」への想いを募らせていました。

自分の音楽の出発点が「シャカタク」だなんて、自分でも忘れていました。ちょっとしたカミングアウトをした気分です。でも、小難しくジャズ評論をしている方も、ジャズを聴き始めたきっかけは、ジャズのもつ「粋」や「オトナ感」への背伸びなんじゃないでしょうか。ジャズの持つクールな世界へ入り込んでみたいというある種の「変身願望」で聴き始めた人が大半なんではないかと思っています。テクニックやアレンジ等、音楽の内容について突っ込んだ議論をするのも大切なことですけれども、表層的なクールネスは、僕にとって、音楽の魅力の第一であり続けています。

投稿者 tofuku : 06:25 PM | コメント (2)

May 12, 2005

ダルマトンプク史#2

普通、ブログには、「このブログについて」という解説がつきもののようです。つってもまあ、昔からホームページには普通あるものなんだけどさ。今までそういったものの整備を怠っていたので、これを期に、このHPの成り立ちを書いてみようと思います。

インターネットが生活の中にリアルに入り込み始めたのは1995年頃だったと思います。大学でも理系の研究室では、かなり電子メールを使うようになってきてはいましたが、僕が居た「デザイン学講座」という所は、古い洋書を辞書を引きつつ訳したりしちゃうような所で、おおよそコンピューターとは縁の無い、「理系の中の文系」ともいうべき場所でした。また、大方の大学の研究室では、企業とタイアップして「基礎研究」なるものをやっていて、そういった資金で様々な設備を整えているものなのですが、金にならない(当時は少なくともそう考えられていた)「デザイン学」とやらに金を与えるようなスバラシい企業は無く、我々の研究室はそれはもう、ひどいアリサマでした。

余談ですが、今でこそ日本でも「デザイン!」関係の一般誌が続々と発刊され、人々はモノを買う時や家を建てる時にそのデザインに注目します。デザインの重要性が説かれ、「金になる」ようになってきたのは喜ばしいことですけれど、未だ「デザインは飛びぬけたセンスを持った、選ばれた人たちの世界」という意識が依然としてあります。だから特集記事もスターデザイナーに関するものばかり。それはある意味仕方の無い事だとも思いますが、天性の「センス」なるものを持つ人は一握りなのに対して、実際にはデザイン・設計の仕事に携わる人は沢山居て、その人たちによる「デザインされたモノ」が世に出回って行くわけです。日本のカルチャーのボトムアップの為にも、金にならない「デザイン学」とやらに、もっともっと予算を付けるべきだと思います。僕が大企業の社長だったら、ドカンと寄付するのになぁ。「お前ら、好きなだけ色鉛筆使っていいぞ」ってね。

いろいろあってコンピューターに興味が強かった僕は…

と、ここまで書きかけて思ったのですが「いろいろあって」の所も書くべきですね。というか、書きたい。なんか、長くなりそうですね…そして「自分史」の様相を呈してきました…続けますので、どうぞお付き合い下さい。

投稿者 tofuku : 10:00 AM | コメント (0) | トラックバック

May 11, 2005

ダルマトンプク史#1

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この日記、たまに覗いてはいるけれども、どうして「ダルマトンプク」というタイトルなのだろう?と思っている方、少しはいらっしゃるのではないでしょうか。

時は中学時代。私立の学校に行っていたので、毎日1時間半もかけて通っていました。長い道中、途中で友達と待ち合わせながら、マンガやテレビについておしゃべりしつつ学校へ向かいます。思えば僕のオタク体質はこの頃醸成されたんだと思います。

そんな仲間の一人に、ルイくんという人物が居ました。初めて会った時、彼は僕の「東福」という名前を聞くなり「おお、ダルマトンプクみたいじゃねーか!」と叫びました。それが私の脳裏にインプリンティングされ、後の1995年に作成するこのウェブサイトのタイトルになるわけです。おしまい。

えっ?何がダルマトンプクなのか答えになってないって?じゃあもうちょっと書きましょう。

僕は、いわゆるガンダム世代ではありますが、辛うじて「ドラえもん」もリスペクトする世代でもあります。ドラえもんと言えば、マンガ界のサイモンとガーファンクルこと藤子不二雄大先生のマスターピース。その彼らのサクセス・ストーリーを記した貴重なオートバイオグラフィーが「まんが道」…トキワ荘から出発し、マンガを「道」にまで昇華させていく男達のプロジェクトX。その頃純粋だった少年トフクは胸を躍らせていました。

お金を切り詰めながらマンガと格闘する毎日の中で、彼らが初めて請け負った仕事が「ダルマ頓服薬」の新聞広告のグラフィック・デザインでした。そんな描写が「まんが道」の中にあります。

そんな訳で、このサイトのタイトルは一見ふざけているように見えますが、「初心忘るべからず」という深遠なテーマが織り込まれているんですね。

僕は、こんなコジツケが簡単に出来てしまうほどに、汚れてしまいました…

投稿者 tofuku : 01:41 AM | コメント (6)