
サメには浮き袋がない。
映画のお陰で獰猛なイメージが定着しているが、沈まないためには寝ている間にも泳ぎ続けなければならないという悲しい生き物でもある。しばしば日本人に例えられる。
このニッキにも度々登場するN氏が所属するP-○ァイン・レコーズ。世界中から最新の音楽を発掘して日本に流通させている、一部の音楽好き達から非常にリスペクトされているレコード会社だ。彼等が発掘したレーベルやミュージシャンは、売れるようになるとメジャーレコード会社と契約してしまう。結果的に、彼らは絶えず最先端の音を開拓し続けなければならない。サメの悲しさを背負っている会社ではあるが、当の本人はとても楽しそうだ。
何が言いたいかというと、どうせサメなんだから楽しくサメをやりましょうよ、という事だ。北欧のようなゼロ成長社会になんて、日本人が馴染めるわけない。楽しく泳ぎ続けようじゃないかという開き直りをしたいものだ。
ただ、サメに国境がないのとは裏腹に、日本人は国内に居ることに非常に拘りがちである。外国に行く人々に対して「ドロップアウト」の烙印を押してしまうところがある。僕も例外ではなく、「夢を実現するために中国に来ました!」と胸を張る女性に対して「この人、彼氏と何かあったのかな?」と下世話な想像をしたりする。その度に、長髪をバッサリと切った女性に「なんかあったのぉ?」とネチネチ訊ねるセクハラ課長となんら変わらないよなぁ、と反省している。
意識的/無意識的に日本人の心に横たわっているそんな国境の感覚、これこそ島国根性と呼ばれるモノだろう。非常に普通の意見で申し訳ないが、やはり、日本人はもうちょっとだけ、国外に目を向けてみるべきだ。日本国内に視野を限定するからこそ、暗いデータばかり目に付き、悲観的な予測しかできなくなるのだ。
アジア諸国との関係において頻出する「交流」や「友好」という言葉。もちろん素晴しい事だとは思うけれど、素晴しすぎて安易に使われすぎる傾向がある。「友好」といった途端、全ての問題が帳消しになってしまうところに、欺瞞の臭いが漂う。ただ、結果として生じる「交流」は大いに歓迎すべきだと思う。
思想信条的に、日本国内にのさばりつつあるアジア人達を苦々しく思っている人は多いだろう。でも、そういう日本人たちの中に「仕返しに、アジア諸国でのさばり返してやろう」という考えがどうして出て来ないのか。のさばり返す事で、その国や民族の違った面が見えてくる事だろう。そういう形で生まれる「交流」もあっていいではないか。
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Comments:4
- inako October 12, 2006 12:48 AM
面白い切り口だね。
そうか、そういう考えなのかもね、と思えた次第。
- tofuku October 12, 2006 2:22 PM
>inako さん
今回は、硬過ぎる文章かなぁ、と思えた次第。
日記を拝見していると、なんだか、すごく楽しそうですね。ペナン。- 蜜蜂マヤの冒険 October 16, 2006 11:02 AM
>北欧のようなゼロ成長社会になんて、日本人が馴染めるわけない。
そうかも知れませんね。名言だ‥
>意識的/無意識的に日本人の心に横たわっているそんな国境の感覚
本当にそうですよね。特に台湾人なんかに強く感じる「自分の舞台は世界」という意識、本当に見習わなければいけないなと思います。最近村上隆の「芸術起業論」を読んだのですが、この本を読んでも同様の感銘を受けます。
ああ、日々の自分を反省‥中国行きたいよー(最近写真にお金がかかり過ぎて、とふくくんの所に遊びに行きたいのに行けず‥。ジレンマです)- tofuku October 16, 2006 9:39 PM
> 蜜蜂マヤの冒険 さん
僕も、昔は「日本人だってバンバン外国に行ってるじゃん」と思っていたクチですが、こちらに来るようになってから考えが変わりました。中国、台湾、韓国、これらの国の人からすれば、日本人は海外アレルギーだ、と思われても仕方ないと思います。
アートに関して言えば、北京では、韓国ギャラリーの勢いが凄い事になっています。対する日本勢は東京画廊が孤軍奮闘している状況…
最近は、日本の美術関係の方々と話す機会が増えました。皆さん、一様に北京のアートシーンの隆盛ぶりに驚かれ、「日本がこの状況に無関心なのは問題だ」とおっしゃいます。
いろいろ中国の美術界の情報も手元に貯まって来ているので、これから機会を見つけて紹介して行こうと思っています。マヤさんがもっと北京に来たくなることうけあいですよ。