- November 3, 2003 12:00 AM
- mono
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いきなりのカミング・アウトで恐縮ですが、僕は普通のサラリーマンの倅にもかかわらず、いわゆるボンボン男子私立高校で青春を送りました。まわりは医者の息子や社長の息子が多く、当時全盛を迎えていたバブルとあいまって、ヴィトンやらハンティング・ワールド(なつかしー)、ヴェルサーチなどが乱れ飛ぶスサマジイ世界でした。所詮は高校生ですから、そういったブランド品そのもののデザインを評価して買っているというよりも、「これン十万するんだぜー、凄いだろー」的な、高価であることにステイタスを感じているように思えました。今考えるとほほえましい。
彼らの名誉のために付け加えさせてもらうと、彼らは現在、素晴らしい家庭人になっています。むしろ、僕なんかよりよっぽど地に足のついた生活を送っていたりして…また、当時も人に気を使えるナイス・ガイでもありました。
それはともかく。そういったモノを見せつけられると、「なんでこれはそんなに高いの?」という疑問が沸いてきます。尋ねてみると「ヴィトンのバッグはライターで火をつけても燃えない」「ヴィトンのバッグは水に沈まない」、はては「アルマーニのジーンズは足が長く見える」などなど…本当かどうかは知りませんが「ブランド品の品質伝説」とも呼ぶべき答えが返ってきた記憶があります。高校生にとってみれば、パブリシティに出てくるブランド・イメージや、デザインの優劣の判断は難しいけれど、品質の優劣は分かりやすい指標であったという事なんでしょう。
雪印のスノー・ブランドの例を出すまでもなく、ブランド・イメージの土台は徹底したクオリティー・コントロールであることは間違いありません。そして、「男のコダワリ」はその延長線上に位置していることも。「この時計は、千時間の耐久テストをクリアーしてるんだぜー」と自慢している30歳の僕と、ヴィトンのバッグは燃えないと言っている高校生、本質的には何の違いもありません。
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